懐かしのパン屋さんとお墓参り

本日は、叔母の命日。

ということで母と共にお墓参りに行ってきました。

懐かしのパン屋さんとお墓参り

懐かしのパン屋さん

通っていた高校の近くに、個人で経営しているコッペパン屋さんがありました。

10年以上経った今も、コロナ禍を乗り越え経営していると知り、久しぶりにそのパン屋さんを訪問。

入り口のドアを開けるとふんわりと香る小麦の香り。

コッペパンに挟む好きな味(いちごジャム、バター、ピーナッツ、チョコレート等…)を依頼して注文するというシンプルなスタイル。

今日は、黒ごまバターとピーナッツをセレクト。

ツヤっとした表面を二つに切り開き、これでもかというくらいに味を挟んでつけてくれます。

甘い香りを漂わせながらいざ、目的地へ!

叔母のお墓参りへ

高校の頃、下宿先として叔父、叔母、母方の祖母が暮らすお家にお世話になっていました。

「どうせ自分の分も作るから」と叔母の好意に甘えて、3年間毎日お弁当を作ってもらっていて。

「仕事に行くついでだから」と、高校までも送ってもらって。

朝練だのなんだのがほぼ毎日あって朝も早かったのに。

本当に、本当にお世話になって、私に良くしてくれていた叔母。

いつも叔父とも仲良さそうに言い合いしていたのも懐かしい。

玄米が好きだったりと、健康志向だった叔母。

料理上手で、いつも美味しいご飯を作ってくれた叔母。

帰りが遅くなった時も怒られた事はなく、私にはいつも優しかった叔母。

まだ若かったのに。

あっという間に急死してしまった。

初めてその連絡を受けた時は、何かの間違いなのか?もしくは私の聞き間違いか?と思ったのを覚えている。

その頃私は、たしか就職して3年目。

目まぐるしく過ぎていく毎日の中で、仕事にも大分疲れていた頃。

人間ってこんなにあっけなく死んでしまうものなのか。

病院に勤務していながらもそんなことを思った。

まだまだ、叔父・叔母孝行もしていないのにどうして…こんなに早く逝ってしまったんだろう。

喪主を務めた叔父対しても、何と声をかければいいのかわからなくて何も言えなかった…。

あんなに仲の良かった夫婦がこんな形でお別れを迎えるなんて。

皆の悲しみを表すように、葬儀の最中はずっと暗い雲がかかり、冷たい雨が降り続いていました。

当時を思い返しながら、

叔母のお墓に手を合わせて、近況報告をしてきました。

有り難いことに子どもを授かれて、もうすぐ出産予定であること。

無事に母子共に健康で出産を乗り越えられるように見守って欲しいこと。

叔母にも赤ちゃんを抱っこさせてあげたかったこと…。

缶珈琲と懐かしのコッペパンをお供えして、

お線香をあげ、

いつもよりもゆっくりと手を合わせる。

葬儀の日とは打って変わって、

3月だというのに、暑さを感じるくらいの太陽の熱を感じながら、穏やかに微笑む叔母の顔を思い出す。

親孝行したい時には親はいないと言われる理由は、あまりに命が儚いからだろう。

生まれてくる時は十月十日かけて生まれるというのに

亡くなる時は一瞬で、どんな年齢でも容赦なく、

1人きりで旅立たなくてはならない。

どうして神様はこんな風に人間を作ったのだろう。

当たり前のように成人して、結婚して、子供ができて…と生きてきたような気がするけど全ては当たり前ではなくて。

色んな人に守られて育てられてここまで生きて来れたんだと。

そんなことを感じていた1日。

今年は梅の花が咲き始めた、暖かくて大好きな3月が終わろうとしています。

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